どもー。
デスカイザーです。
ここ最近話題になっている「ラノベの主人公は努力しちゃいけない」発言についての記事です。
最初はTwitterで呟いて終わらせようと思っていたんですが、長くなりそうだったのでこちらでまとめておくことにします。
ラノベ読者の一人として、私はこういうことを思っているんだぞー!
というのを残しておきたかった、という(当ブログでは毎度のことですが)どちらかというと発信よりも記録に近い記事なのであしからず。
大元の記事はこちら!
……と言いたいんですが、元記事がリンクフリーじゃないらしいので、
「ラノベ 努力 社長」
あたりで検索していただけますと幸いです。
元の話はどうやら「人工知能は人間関係を破壊していくのでは」ということらしいです。
それこそラノベで散々語られている分野ですね。
『SAO』のアインクラッド編及びプログレッシブとアリシゼーション編では特に痛烈に明確に描かれていますので、このテーマに興味をもった方は是非是非読んでみてください♪
まずは、一番問題になっているところからいきましょうか。
「ラノベの主人公は努力をしちゃいけない、それは読者が自己投影できないからだ」という趣旨の発言。
これ、断定しちゃってるから問題なんですよね。
そういう嗜好の層が一定数(それも圧倒的少数というわけじゃなく)いるのは間違い無いと思います。
ただ、それがあたかも圧倒的多数であるかのように、そうじゃないとヒットしないかのように言っているからこれだけ叩かれているんであって。
それと「ヒロインは都合よくやってくる。超能力は勝手に身についている」という趣旨の発言。
「都合よく」と「勝手に」の部分じゃないでしょうか、問題は。
そりゃ例えば異世界転生ものならスキルの1つや2つや100個200個、ヒロインの1人や2人や1パーティが最初に転生条件として与えられることが多いですよ?
そうじゃなくても物語のスタート地点で主人公に好意を寄せてる幼馴染とか妹とか姉とか転校生がいたり、格闘術おさめてたり頭良かったりチートレベルの能力持っていたりしますよ?
主人公が苦悩する、失敗する、仲間が落ち込む、誰かに嫌われてしまう、誰かが傷つけられそうになる、etc…
それらに対応するために知謀を巡らせる、折り合いをつける、行動する、仲間と協力していくことも”努力”と呼ぶんじゃないでしょうか。
そして、その結果感謝され、達成感を味わい、結束し、絆を深め、成長していくことがラノベの醍醐味の一つなんじゃないでしょうか。
どんなに売れない作品だとしても、それが物語として成立している限りは何かしらの山場と、それを越えるための努力・奮闘と、それに伴う結果があります。
これだけは間違い無いです。
それを初期設定の優劣のみで判断し、展開や過程を一切考慮せずご都合主義だと断ずる。
「なーーんも努力してない設定じゃないと売れない」というインタビュアーの問いにYESを返す。
それを出版側が行っているのが、許せませんでした。
で、それとは別に「そもそも論」なんですが。
社会が、価値観がバラバラになってきた!
趣味が多様化してきた!
⇒売れるラノベには絶対の法則があるんです!
主人公に都合の良い物語であることです!
……?!
これが「売れるラノベに法則性が無くなってきたんです」だったら、そのあとの「都合の良いメディアを選択するようになり、自分に都合の良い情報しか得なくなる」という方向にも価値観の多様化という方向から繋がるんですが……。
「自分に都合の情報を選ぶ」という価値観に統一されちゃってるじゃないですか……。
あと、
努力してない主人公しか受け入れてもらえない!
今の読者は主人公が努力していると気後れしてしまう!
ヒロインも何もいつの間にか勝手に!
⇒いくら仲間内でも人間関係って疲れるよね!
それを維持するために努力してるよね!
……なぜその考えを
ラノベに適用できなかったっっ!!
と、まぁ本人の発言の中で食い違いが発生しているように思われる部分がいくつかあるんですよね…。
努力うんぬんに関しても上述のように気づいていないだけで本人が答えを導き出しているわけですし。
問題のインタビューに関して私が感じたのは概ね以上ですね。
まぁ、でもですよ。
社会の価値観がバラバラになっている、という前提条件が覆らない限りラノベ市場の多様さが損なわれることは無いと思うので、ある意味安心といえば安心ですね。
(絶対の法則、とやらがどこまで真実味帯びているかにもよる…?)
眠くて着地点がふわふわしてますが、ここら辺で。
以上!
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デスカイザーです。
ここ最近話題になっている「ラノベの主人公は努力しちゃいけない」発言についての記事です。
最初はTwitterで呟いて終わらせようと思っていたんですが、長くなりそうだったのでこちらでまとめておくことにします。
ラノベ読者の一人として、私はこういうことを思っているんだぞー!
というのを残しておきたかった、という(当ブログでは毎度のことですが)どちらかというと発信よりも記録に近い記事なのであしからず。
大元の記事はこちら!
……と言いたいんですが、元記事がリンクフリーじゃないらしいので、
「ラノベ 努力 社長」
あたりで検索していただけますと幸いです。
元の話はどうやら「人工知能は人間関係を破壊していくのでは」ということらしいです。
それこそラノベで散々語られている分野ですね。
『SAO』のアインクラッド編及びプログレッシブとアリシゼーション編では特に痛烈に明確に描かれていますので、このテーマに興味をもった方は是非是非読んでみてください♪
まずは、一番問題になっているところからいきましょうか。
「ラノベの主人公は努力をしちゃいけない、それは読者が自己投影できないからだ」という趣旨の発言。
これ、断定しちゃってるから問題なんですよね。
そういう嗜好の層が一定数(それも圧倒的少数というわけじゃなく)いるのは間違い無いと思います。
ただ、それがあたかも圧倒的多数であるかのように、そうじゃないとヒットしないかのように言っているからこれだけ叩かれているんであって。
それと「ヒロインは都合よくやってくる。超能力は勝手に身についている」という趣旨の発言。
「都合よく」と「勝手に」の部分じゃないでしょうか、問題は。
そりゃ例えば異世界転生ものならスキルの1つや2つや100個200個、ヒロインの1人や2人や1パーティが最初に転生条件として与えられることが多いですよ?
そうじゃなくても物語のスタート地点で主人公に好意を寄せてる幼馴染とか妹とか姉とか転校生がいたり、格闘術おさめてたり頭良かったりチートレベルの能力持っていたりしますよ?
主人公が苦悩する、失敗する、仲間が落ち込む、誰かに嫌われてしまう、誰かが傷つけられそうになる、etc…
それらに対応するために知謀を巡らせる、折り合いをつける、行動する、仲間と協力していくことも”努力”と呼ぶんじゃないでしょうか。
そして、その結果感謝され、達成感を味わい、結束し、絆を深め、成長していくことがラノベの醍醐味の一つなんじゃないでしょうか。
どんなに売れない作品だとしても、それが物語として成立している限りは何かしらの山場と、それを越えるための努力・奮闘と、それに伴う結果があります。
これだけは間違い無いです。
それを初期設定の優劣のみで判断し、展開や過程を一切考慮せずご都合主義だと断ずる。
「なーーんも努力してない設定じゃないと売れない」というインタビュアーの問いにYESを返す。
それを出版側が行っているのが、許せませんでした。
で、それとは別に「そもそも論」なんですが。
社会が、価値観がバラバラになってきた!
趣味が多様化してきた!
⇒売れるラノベには絶対の法則があるんです!
主人公に都合の良い物語であることです!
……?!
これが「売れるラノベに法則性が無くなってきたんです」だったら、そのあとの「都合の良いメディアを選択するようになり、自分に都合の良い情報しか得なくなる」という方向にも価値観の多様化という方向から繋がるんですが……。
「自分に都合の情報を選ぶ」という価値観に統一されちゃってるじゃないですか……。
あと、
努力してない主人公しか受け入れてもらえない!
今の読者は主人公が努力していると気後れしてしまう!
ヒロインも何もいつの間にか勝手に!
⇒いくら仲間内でも人間関係って疲れるよね!
それを維持するために努力してるよね!
……なぜその考えを
ラノベに適用できなかったっっ!!
と、まぁ本人の発言の中で食い違いが発生しているように思われる部分がいくつかあるんですよね…。
努力うんぬんに関しても上述のように気づいていないだけで本人が答えを導き出しているわけですし。
問題のインタビューに関して私が感じたのは概ね以上ですね。
まぁ、でもですよ。
社会の価値観がバラバラになっている、という前提条件が覆らない限りラノベ市場の多様さが損なわれることは無いと思うので、ある意味安心といえば安心ですね。
(絶対の法則、とやらがどこまで真実味帯びているかにもよる…?)
眠くて着地点がふわふわしてますが、ここら辺で。
以上!
コメント
コメント一覧 (8)
「偏差値35を70にした勉強法」なら受験本コーナーに置いてもらえるだろうけど、「偏差値65を70にした勉強法」なんて誰も読まないし、ましてやそれを「努力によるサクセスストーリー」にカテゴライズする人間はまずいないでしょうね。
元々できるんだからそりゃ偏差値上がるでしょ、で終わり。
ビリギャルがお嬢様学校出身であると判明して批判されてるのも同じ理由。努力はしてるだろうけど、それ以上に家庭環境の要因が大きい。
植物状態にでもなってない限りは、生きるために何らかの努力をしてるわ。
でも、多種多様な努力を全て同じレベルで扱っていいのかってことよ。
> 「獲得(悪条件脱出)」ではなく、「保持(好条件維持)」を努力の賜物と形容していいのか。
努力しての保持ならそれは努力の賜物でしょう……?「悪化しない」という成果を得たのですから。
> 「偏差値35を70にした勉強法」なら受験本コーナーに置いてもらえるだろうけど、「偏差値65を70にした勉強法」なんて誰も読まないし、ましてやそれを「努力によるサクセスストーリー」にカテゴライズする人間はまずいないでしょうね。
> 元々できるんだからそりゃ偏差値上がるでしょ、で終わり。
> ビリギャルがお嬢様学校出身であると判明して批判されてるのも同じ理由。努力はしてるだろうけど、それ以上に家庭環境の要因が大きい。
「そりゃ偏差値あがるでしょ」って、まるで早慶上智に合格する人は東大にも合格できるかのような言い方ですね。毎年どれだけの学生が泣いていることか……。
私自身は結果とか環境とかいう努力の質・量と何も関係ない所で努力の大小を比較する考え方が大嫌いです。努力とは「ある目的のために力を尽くして励むこと(広辞苑)」ということなのだから、どんな力を使って、どんな結果を得たかは努力の評価基準では無いはずです。もっと言うなら努力それ自体は比較するようなものじゃないはずです。
(努力してる、と言いながら明らかに力を尽くしていない場合は別ですが)
まぁそもそもこの社長はその多種多様の努力をバッサリ切り捨てる論調なんですがね……!
余談ですが個人的にはビリギャルよりも偏差値65→70の方が興味あります。
・不在(辞書的用法、絶対比較)
・基準未到達(レトリック、相対比較)
の二種類があるわ。
「火星に人類は住んでいない」だったら文字通り「火星の住人はゼロである」って意味だけど、「Aさんは体力がない」は違うでしょ? 本当に体力がゼロだったら死んじゃうし。「Aさんは『求める基準に比べて』体力が低い」って言いたいわけで。
>努力とは「ある目的のために力を尽くして励むこと(広辞苑)」ということなのだから、どんな力を使って、どんな結果を得たかは努力の評価基準では無いはずです。
「どんな力を~」は絶対比較の話であって、受験で例えるなら「一日一〇分だろうと一日一〇時間だろうと、勉強してる事実は変わりない」って言うのと同じよ。
「東大合格目指して、一日一〇分勉強してます!」って受験生を評価する? しないでしょ?
好きか嫌いかはあんたの価値観だから知らない。
ただ、結果や環境が努力と無関係だと思ってるのが問題ね。
ムーギー・キム『一流の育て方』では、一回五万円のバイオリンレッスンを一年間続けさせてもらえた学生の話が載ってるわ(ちなみに両親はピアノ経験者)。
五万円のレッスン料を払える経済的余裕や、一流の講師を探し当てる能力、子供を音楽好きにさせる親の文化資本があったからこそ、努力できたんじゃないの?
環境要因があまりにも大きいんだから、努力をクローズアップするのはおかしいのよ。
ラノベ主人公に関しても同じで、例えば学園ものなら幼馴染みから好意を抱かれてたり、オタク趣味が受け入れられてたりするわけじゃない? 既にモテてる。環境が恵まれてる。
それは「基準に照らし合わせると」努力していると形容できるのか。モテない主人公がモテるために行動するのが努力じゃないのか。そういうことよ。
>
> 「どんな力を~」は絶対比較の話であって、受験で例えるなら「一日一〇分だろうと一日一〇時間だろうと、勉強してる事実は変わりない」って言うのと同じよ。
> 「東大合格目指して、一日一〇分勉強してます!」って受験生を評価する? しないでしょ?
東大合格という目標に向けて力を尽くすのに必要な時間が一日一〇分なのだとその人が判断しているのだとしたら、私はその努力を評価しますよ?力を尽くしていない一〇分なのだとしたら、それは「努力してる、と言いながら明らかに力を尽くしていない場合は別ですが」と補足していた通りです。もっとも、それを他人が判断するのは難しいでしょうね…。
> ただ、結果や環境が努力と無関係だと思ってるのが問題ね。
ロープレだろうとブログへのお客様だろうと、あんた呼ばわりされる筋合いは無い
>
> ムーギー・キム『一流の育て方』では、一回五万円のバイオリンレッスンを一年間続けさせてもらえた学生の話が載ってるわ(ちなみに両親はピアノ経験者)。
> 五万円のレッスン料を払える経済的余裕や、一流の講師を探し当てる能力、子供を音楽好きにさせる親の文化資本があったからこそ、努力できたんじゃないの?
> 環境要因があまりにも大きいんだから、努力をクローズアップするのはおかしいのよ。
環境要因や親の文化資本が影響を与えるのは結果や選択肢であって、本人の努力そのものではない、という主張をしています。やる気には影響あるかもしれませんがね?
どんなに環境が良くても、無駄にしようと思えばいくらでも無駄にできますよね?でも、無駄にせず励んだ。なら、それは努力であると私は認めます。
> ラノベ主人公に関しても同じで、例えば学園ものなら幼馴染みから好意を抱かれてたり、オタク趣味が受け入れられてたりするわけじゃない? 既にモテてる。環境が恵まれてる。
> それは「基準に照らし合わせると」努力していると形容できるのか。モテない主人公がモテるために行動するのが努力じゃないのか。そういうことよ。
その考えを一読者が抱く分には「じゃあ別のジャンルの本を読みましょう?」で済みます。私が問題視したのは記事中にも書きましたが、「モテない主人公がモテるために行動する」以外の形の努力を描く作品を、努力とは別の軸を売りにしている作品を数多く出版している企業のトップがそのような発言を公共の場でしたことなんです。
つい議論がヒートアップして……王族にあるまじき態度を取っちゃったわ。
「親しき仲にも礼儀あり」って言うもんね……その…………ごめんなさい。
申し訳ありませんでした。